吉川猛夫は真珠湾のスパイの森村正?諜報方法や真相、晩年や結婚(嫁・子供)も気になる!

吉川猛夫という人物をご存知でしょうか。

太平洋戦争に突入する「真珠湾攻撃」を

成功させるための準備に暗躍した

スパイと言われています。

日米関係が悪化していた当時、

数多くの各国のスパイが暗躍している中、

日本軍はたった一人のスパイをハワイに

送り込み、真珠湾攻撃の具体化を

画策していきました。

今回はそんな「日本人スパイ」の

吉川猛夫(よしかわたけお)氏について

見ていきたいと思います。

吉川猛夫(よしかわたけお)のWiki経歴・プロフィール

  • 名前:吉川猛夫(よしかわたけお)
  • 偽名:森村正(もりむらただし)
  • 生年月日:1912年3月7日
  • 没年:1993年2月20日
  • 出身:愛媛県松山市
  • 学歴:海軍兵学校
  • 軍歴:1933年~1938年
  • 最終階級:少尉

真珠湾攻撃の影の立役者の吉川猛夫氏。

愛媛県松山市出身で、警察官だった

吉川菊一郎氏の長男として生まれます。

母乳を飲まなかったため、牛乳や重湯を

与えられており、ひ弱な子供でした。

父親は医師や薬を断り、運動をさせるなど

厳しい教育をしたそうですが、結果的には

自然と健康になっていきました。

松山中学を経て、1930年4月には

海軍兵学校に入学し、卒業後は海軍の

装甲巡洋艦「浅間」乗組となりました。

巡洋艦「由良」乗組を経て、1934年から

1935年まで海軍水雷学校で講習員として

学ぶが、1935年1月から6月まで病休。

7月に海軍少尉に任官し横須賀鎮守府付に

発令されるも、1936年9月に休職。

1938年には予備役編入となり、軍令部

第三部第八課に配属されました。

吉川猛夫が偽名「森村正」を名乗りスパイとしてハワイ・ホノルルへ

吉川氏は1941年3月から1942年8月まで

「森村正」という偽名を名乗りハワイの

ホノルル領事館に勤務しています。

軍令部第三部第五課長に呼ばれ、

ホノルル総領事館員になり、滞在するよう

言われました。口調は「相談」でしたが

軍隊における上官からの「相談」とは

「命令」と同義でした。

吉川猛夫(森村正)の諜報活動の方法とは?

吉川氏は毎日のように出かけて酒を飲み、

現地の女性とドライブやピクニックに

出かける等、派手な生活を送っていました。

下町に出て酒を飲むのは、現地水兵から

情報を得るためで、女性と出かけるのは

真珠湾周辺に行き、現地の状況を

自分の目で確かめるためでした。

吉川氏の正体は総領事以外誰も知らされず

現地の日本人移民や、日系人の善意を

利用して諜報活動は行われており、

収集した情報は喜多長雄総領事の名前で

東京に暗号にして打電していました。

詳細についてはこちらの回想録に

ご自身が書かれております。

スパイ活動の拠点は日本料亭「春潮楼」(現在は「夏の家」)

諜報活動の拠点は、アレワ高地の

日本料亭「春潮楼」(現・「夏の家」)で、

理由は2階座敷から東南方向に真珠湾と

隣接するヒッカム飛行場を望むことができ

景色を楽しむための観光用の望遠鏡も

備えられていたためでした。

吉川氏はこの春潮楼に入りびたっており、

日系人芸者達と馬鹿騒ぎをした後、

深夜から朝方まで真珠湾の様子を

うかがう諜報活動を行っていました。

吉川氏は毎日の諜報活動の結果

  • 真珠湾には毎週日曜日に最も多くの艦艇が在泊していること
  • 空母は1週間ぐらい演習で港を留守にすること。
  • 南方水域で演習が行なわれていること

など、上記のようなアメリカ艦隊の

習性が分かってきました。

実際真珠湾攻撃は日曜日に行われ、

日本の攻撃部隊は太平洋の北方水域を

航行していたことから、諜報の結果が

大いに活用されたことが分かります。

最後の打電は1941年12月6日に行われ、

真珠湾攻撃の6時間前に東京に届きました。

そして、太平洋戦争が開戦しました。

真珠湾攻撃で太平洋戦争開戦 吉川猛夫はアメリカFBIの尋問を受ける

真珠湾攻撃による太平洋戦争開戦の時、

吉川氏は攻撃について知らされておらず

自宅で朝食を食べていたそうです。

開戦後は他の総領事館員とともに

軟禁状態となりました。日本総領事館員は

厳しい取り調べを受け、FBIなどによる

取り調べは吉川氏に集中しました。

吉川氏は尋問の前にスパイの証拠を消し、

厳しい尋問、脅しにも口を割ることは

ありませんでした。ただ、尋問が集中し、

領事館の職員の多くが彼の正体に勘付き、

恨み言をいう人も出てきました。

それは当然で、領事館関係者などの

日系人は吉川氏がスパイだとは知らずに

善意で協力をしてくれたからです。

また「日系人」というだけで差別され、

収容所にも送られています。

結局吉川氏のスパイ疑惑は証拠不十分で

正体は発覚することはなく、1942年

8月15日に帰国することとなりました。

吉川猛夫の帰国後や戦後・晩年は?戦犯にはなっていない?

帰国後は海軍で日米の戦力を分析する

仕事をしていましたが、戦局が悪化して

海軍内ですら信頼性の低い情報が錯綜し

大本営は兵力の差を隠し、日本の勝利を

宣伝し続けていました。

そんな戦況の中、吉川氏は疎んじられ、

孤立していました。辞職願を出すも

受理されることはありませんでしたが

そのまま実家に帰りました。

戦後、吉川氏はどうすれば良い形での

日米関係を築けるか考えており、

「相互理解は卑屈な従順から生まれない」

とこちらの回想の中でも述べています。

私は真珠湾のスパイだった 新書版

GHQが戦史を編纂する際に吉川氏から

聴取を行おうとした際には、上司の制止を

振り切って応じ、スパイ活動について

たった1人の執念ともいえる行動について

洗いざらいを説明しました。

戦後は再びハワイを訪問しており、

戦争による死者に黙祷を捧げ、日系人に

謝罪をしました。現地取材に対しても、

スパイは自身1人であり、日系人は

関係していなかったと答えています。

なお、吉川市のご家族については

結婚をされたか、子供がいたかなど

調べてみましたが分かりませんでした。

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吉川猛夫(森村正)のスパイ活動や真珠湾攻撃の真相は?

8月12日の「ザ・スクープスペシャル」で

吉川氏について特集されます。そこでは

日米ソの「極秘スパイ資料」を発掘し、

各国の「思惑」がどう重なり合い、

開戦へとつながっていったのかなどの

知られざる真実に迫る内容です。

当時のルーズベルト米政権内に、

ソ連のスパイが200人もいたことが

明らかになり、そこには大統領補佐官や

財務次官補といった大統領の側近中の

側近たちもいました。

番組では元KGBのスパイを取材し

「ソ連は日米の開戦を望んでいた」

という衝撃的なコメントも紹介。

また、当時のFBI長官が国務省に送った

報告書にはそこには「森村は領事館外の

男であるに違いない」との記述もあり、

FBIも吉川氏をスパイとしてマークを

していたことになります。

であるならば、なぜ真珠湾攻撃を

未然に防ぐことができなかったのか?

あえて日本の先制攻撃を許し、

開戦の口実を作りたかったのか?等

次々と発掘される極秘資料から

浮かび上がるルーズベルトへの

「疑惑」も見えてきます。

詳細については8月12日放送の

「ザ・スクープスペシャル 真珠湾攻撃77年目の真実~日米ソの壮絶“スパイ戦争”~」(13:55 ~ 15:20)

を御覧ください。

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