筒井宣政が娘の為にIABPバルーンカテーテルを開発!経緯や病名は?【アンビリバボー】

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こんにちは、ぽこぱぱです。

子供の命や健康のためなら大変なことでも

やってあげたくなります。不思議なもんで、

自分のためならそんなこともないんですが。

さて、今回取り上げるのは、生まれつき

心臓が正常に血液を流す事ができなくなる

難病を持つ娘の父親で、娘を救うために

奇跡の医療器具を作った方です。

東海メディカルプロダクツという会社の

筒井宣政(つついのぶまさ)さんという

方なのですが、どんな背景があり、

どんな医療器具を作ったんでしょうか。

筒井宣政(つついのぶまさ)のWiki経歴・プロフィール

  • 名前:筒井宣政さん(つつい のぶまさ)
  • 生年月日:1941年生まれ
  • 年齢:77才
  • 出身地:名古屋
  • 学歴:東海高校、関西学院大学経済学部
  • 職業:東海メディカルプロダクツ会長

関西学院大学経済学部卒の筒井伸政さん。

卒業後は東海高分子化学を受け継ぎます。

小さな町工場で、ストロー・パイプなど

プラスチック樹脂製品を作っていました。

受け継いだ当時、会社は膨大な借金を

抱えていました。計算すると72年ほど

かかる見積もりでした。

ある日、商社マンの知人からアフリカの

女性向けの「塩化ビニル製の髪結いひも」

を作ると儲かると勧められ、市場開拓を

するとこれがヒットします。

数年で年商を2~3ばいまで増加させ、

70年以上かかると思われた返済は

わずか7年で完了してしまいました。

このように会社は飛躍を遂げましたが、

私生活でも苦難が押し寄せます。

筒井宣政の結婚 妻との間に生まれた子供(次女)には先天性の心臓病が

筒井さんは結婚をされており、奥様の

陽子さんとの間に3人の娘さんがいます。

会社の借金が判明した年に生まれたのが

次女の佳美さんでした。

佳美さんは、心臓が正常に血液を流す事が

できなくなる難病「三尖弁閉鎖症」を

生まれながらに持っていました。

当時の医療技術には、娘さんを治すことが

できず、9歳の時に「手術はできない」と

東大やアメリカの医師から宣告されます。

そして、余命10年を告げられます。

その後、貯金を心臓病の研究のために

寄付をしようと医師に相談したところ

人工心臓の研究を提案されました。

娘さんの心臓病を治したい一心で、

医療に関しては、素人だった筒井さんは

人工心臓の開発に挑戦します。

人工心臓の研究開発「東海メディカルプロダクツ」

筒井さんは「東海メディカルプロダクツ」

を設立し、人工心臓の研究を始めます。

失敗続きながら、開始から8年後には

ようやく動物実験までこぎつけました。

その時点で8億円の資金を注ぎ込んで

いましたが、さらなる動物実験のために

100億もの膨大なお金がかかります。

当時の厚生省から人間への臨床に使う

ためには更に膨大な資金が必要でした。

もしその資金を調達しても、当時は

市場もなく、認可までに時間もかかるため

間に合わないということで断念を余儀なく

されました。無念だったでしょうね。

娘さんを救う夢を諦めなくてはならないと

悲嘆に暮れている時に、娘さんは筒井さんに

「これからはその知識を病院で見かけた

心臓病で亡くなる子供たちのために使って」

とお願いをします。

生きたいという想い、生かせてやりたい

という親の想いを分かった上で、病気の

他の人を助けてと言える。。。

なんて素晴らしい娘さんなんでしょうか。

そして、筒井さんは、ある決意をします。

筒井宣政がIABPバルーンカテーテルの国産化に成功!IABPバルーンカテーテルとは?

筒井さんは「IABPバルーンカテーテル」

というものに目を向けました。

「IABPバルーンカテーテル」とは、

心臓の働きが悪くなったとき、心臓の働きを

一時的に助ける器具のことです。

当時はアメリカ製しかなく日本人には

サイズが合わないため合併症をよくおこす

問題がありました。また、医療中の事故も

起きていました。

開発に高度な技術を必要で、国内生産は

無理と言われていましたが、人工心臓の

開発で培ったノウハウを活かし、国産初の

IABPバルーンカテーテル開発に成功します。

IABPバルーンカテーテルは平成元年に

販売を開始。佳美さんを救えるものでは

ありませんでしたが、数多くの患者さんを

救い、それを佳美さんも喜んだそうです。

残念ながら佳美さんは平成3年に亡くなり

ましたが「娘に使用しても安全な医療機器

カテーテルの開発を」という思いは

変わっていません。

まとめ

娘を救いたいという思いで人工心臓の

開発を行い、それに挫折するも、娘さんの

言葉で数多くの人を救いたいと思うように

なったという筒井宣政さん。

実際その功績は大きく、12万人の患者を

救い、数多くの受賞もされています。

「娘を救いたい」が「患者さんを救いたい」

に変わりましたがそれをさせたのも

娘さんの優しさのおかげでしょうね。

娘さんの死後、筒井さんは自らが評議員を

務める日本人工臓器学会で娘の名前を冠した

「Yoshimi Memorial T.M.P. Grant」

というものを設立。人工臓器で優れた

研究を行う人を表彰し、研究費として

100万円を贈呈しています。

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