こんにちは、ぽこぱぱです。
日本のスポーツ選手ってポテンシャルの
高い選手は野球に行きがちですね。
身体能力が高いので、異種目に行っても
活躍できる人も結構います。
元巨人の高野忍(たかのしのぶ)さんは
プロ野球からプロレスの世界に行った
2人目の方です。ちなみに1人目は
ジャイアント馬場さんです。
野球からプロレスという全く畑の違う
競技に行った高野さん。なぜプロレス
だったのか、野球選手時代の成績は
どうだったのか調べてみました。
高野忍(たかのしのぶ)の経歴・プロフィール
- 名前:高野忍(たかのしのぶ)
- 生年月日:1974年12月10日
- 年齢:43歳
- 出身:和歌山県那智勝浦町
- 高校:箕島高校
- 所属:ZERO1
- デビュー:2009年
元読売巨人軍選手の高野忍さん。
箕島高校では、2年生時に控え外野手で
91年春の選抜に甲子園に出場しています。
その時は2回戦で敗退しました。
91年の秋季大会からはエースになり、
近畿大会県予選準決勝まで進みましたが、
南部高に延長13回裏サヨナラ負け。
翌年の夏も県予選で敗れ、甲子園出場は
果たせませんでした。
卒業後は中山製鋼所に入社し野手転向。
1997年の都市対抗に出場します。
1998年に巨人が行った入団テストで
特大のホームランを打ち、合格。
ドラフト8位で入団しました。
2000年には一軍に上がりましたが、
変化球への対応ができず、守備走塁に
難があったので出場機会はなく、
2003年に戦力外通告を受けました。
通算打率は.167でした。
高野忍がプロレスラーになった経緯や理由は?
巨人以外の球団の入団テストを受けるも
合格できずプロ野球を引退した高野さん。
引退後は、「ウエストジャパン」という
ベンチャー企業の取締役に就任します。
少年野球チーム「御岳ドリームジュニア」の
コーチを一務めたり、県内の軟式野球の
チームの所属しながら空手や総合格闘技の
練習も行っていました。
愛知県を中心に看板業や鉄骨業をやって
いたのですが、巨人時代から親交のあった
リングアナウンサーのNaokiさんから
『プロレスをやってみないか』
と誘われ、物は試しに、と快諾します。
2009年2月14日、ZERO1でプロレスラー
としてデビュー。小笠原和彦さんと対戦し、
裸絞めによるレフェリーストップ勝ちを
収めました。
プロレスは体を酷使する商売なので、
長くは続けられないと、2試合でリングを
去りましたが、一時はあの格闘家の
ジェロム・レ・バンナ選手と対戦する
可能性もあったそうです。
高野忍の今現在は?野球指導で息子がプロ野球選手に?
プロレスを辞めた高野さんは、
野球指導の夢を描きます。小さな頃から
ちゃんと指導を受けて上手くなって欲しい。
という思いを持ったそうです。
鉄骨業を営みながら資金を集め、2011年に
念願の野球教室「T.B,B」を設立。
現在はお仕事をしながら毎晩3時間、
子供達に野球の指導を行っています。
生徒は60人ほどで、卒業生の中には
自身の長男・信元さんもいます。
ちなみに高野信元さんはこの春から
大学に進み、プロを目罪しているようです。