中筋憲一の経歴や年収、消せるボールペンフリクションの誕生秘話や訴訟とは?【逆転人生】

 

消せるボールペン

 

お持ちですか?

累計26億本も売り上げた大ヒット商品です。

ボールペンは消えないのがいいんだよ派も

発売当初は多かったけど減りましたね。

 

そんな初代「消せるボールペン」こと

フリクションを開発したのは日本人で、

中筋憲一さんという筆記具製造会社の

元代表取締役社長さんです。

 

お荷物部署に配属され、希望していた

筆記具の開発とは無縁の人生を歩んでいた

中筋さんですが、どんな一発逆転で

ヒット商品の開発に成功したのでしょうか。

中筋憲一(なかすじけんいち)のWiki経歴・プロフィール

  • 名前:中筋憲一
  • 生年月日:1943年6月21日
  • 年齢:76歳
  • 学歴:岐阜大学工業化学科

 

消えるボールペン開発者の中筋憲一さん。

岐阜大学を卒業後、1966年に筆記具の

パイロットインキ(株)に入社しました。

主な経歴は以下になります。

 

  • 1966年4月 パイロットインキ(株)入社
  • 1993年1月 パイロットインキ(株)第2開発部長
  • 1996年3月 パイロットインキ(株)取締役
  • 2002年3月 パイロットインキ(株)代表取締役社長
  • 2003年3月 (株)パイロットコーポレーション取締役
  • 2008年3月 (株)パイロットコーポレーション常務取締役
  • 2011年3月 パイロットインキ(株)取締役会長
  • 2015年3月 パイロットインキ(株)常務
  • 2016年3月 パイロットインキ(株)退職

 

入社時にはノンカーボン紙の開発に

携わっていましたが、その研究開発から

会社が撤退してしまいました。

 

取り組むテーマを見失ってしまい、

困っていた中筋さんですが、

たまたま外回りをしているときに、

一晩で真っ赤に染まる紅葉を見て、

「色が変わるインクを作れないか」と

ひらめき、開発に踏み出しました。

 

1年ほどの試行錯誤の末に温度によって

色が変わる原理を発見しました。

「メタモカラー」と名付けられた

この原理ですが、直ぐにフリクションに

結びついたわけではありませんでした。

消えるボールペン フリクションの誕生

メタモカラーという新しい原理を発見し

特許までとったのは良かったのですが

実際の商品化に中々辿りつきません。

 

メタモカラーの色が変わる特性を活かして

コップやおもちゃなどに使用しましたが、

大ヒットとまでは行きませんでしたし、

本業とはかけ離れたものでした。

 

2004年にヨーロッパの販売会社社長から

小中学生が学校でボールペンを使っている

ということを聞かされ、書き間違えると

消すのが大変だからいい方法はないかと

問い合わせが来ました。

 

そんな困りごとを解決する方法として、

開発が進められてきたメタモカラーの

インクが使えるのでは、ということになり

メタモカラーのペンが開発されました。

 

2007年に発売されたこの消えるペンは

英語で「摩擦」という意味の

「フリクション」という名前で発売され

あっという間にヒット商品となりました。

「摩擦」というのは、ペンの後ろにある

ラバーでこすることで発生する熱で

メタモカラーの色の温度特性を使い、

消すことが出来ることが由来ですね。

消えるボールペンは訴訟も起きていた

大きな発明となり大ヒットとなった

フリクションですが、大きな発明で

市場を席巻したことで後発もこの流れに

参画してきます。

 

同じく文房具メーカーである三菱鉛筆も

この「消えるボールペン」市場に参加し

新しい商品を開発してきました。

 

その中で、2011年にパイロットは、

特許権侵害を根拠に、三菱鉛筆の

「ユニボールファントム」という商品の

差し止め請求訴訟を提起しました。

その後2014年にはパイロットの特許の

向こうを三菱鉛筆が請求していますが

2件とも和解が成立しています。

 

最も、三菱鉛筆が消えるボールペンの

商品を発売する前に、フリクションが

「消えるボールペン=フリクション」

という認知がされてしまっていたので、

ユニボールファントムが取れる市場は

あまり大きくなかったでしょうね。

 

ちなみにフリクションに関しては

開発部の千賀邦行さんの出願した特許は

沢山ありますが中筋さんのお名前は

なかったりします。不思議ですね。

中筋憲一の年収や現在は?

パイロットインキの代表取締役社長や

会長まで歴任してきた中筋憲一さん。

当時は爆発的なヒット商品を生み出し、

会社も好調だったことでしょうね。

 

日本の社長の年収は3000万円程度が

平均となっていますので、中筋さんも

これくらいはもらっていたでしょうね。

 

とはいえ、会社を一気に成長させた

立役者なのでもっともらってもいいくらい

と思うのは私だけではないと思います。

 

現在は会社経営からは退いており、

大学で公演をされたこともあるようで、

発明の詳細など、後進の育成に役立つ

情報を色々発信してほしいものですね・

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