正井潔(カンボジア)の今現在や経歴、結婚(嫁・子供)や収入、帰国理由は?【世界ナゼそこに?日本人】

こんにちは、ぽこぱぱです。

カンボジアで活躍している日本人を

ちょくちょく取り上げていますが、

今回もそんな方のお話です。

カンボジアで唯一の救急隊を作り、

無給で救命を指導していた69歳の男性

正井潔(まさいきよし)さん。

時には違法な「闇の救急車」とも対決し、

正しい救急救命を広めようと奮闘した

正井潔さん。一体どんな方で、現在は

何をされているのでしょうか。

正井潔(まさいきよし)のWiki経歴・プロフィール

  • 名前:正井潔(まさい きよし)
  • 生年月日:1949年(推定)
  • 年齢:69歳
  • 学歴:高校…不明
  • 出身地:兵庫県神戸市
  • 職業:救急隊指導員・JRT理事長

兵庫県神戸市出身の正井潔さん。

高校卒業後に神戸市消防局に就職し。

42年間勤務し、2010年3月には

定年退職をされます。

医療行為ができる救急救命士の

国家資格を取得し、42年の勤務の内の

27年間は救急業務にあたっており、

現場には1万回以上出場したという

現場叩き上げの救命救急士です。

定年退職後はカンボジアに渡り、

長期滞在して、救命救急活動の指導など

支援をしており、現在では日本国際救急

救助支援会(JPR)の理事長を務めています。

正井潔がカンボジアで救急隊を作った理由や経緯は?

正井さんは2004年に南アフリカで

救急システムの立ち上げを計画していた

五十嵐仁さんの要請でザンビアを訪れ、

救急救助支援指導を行いました。

そこでは日本では当たり前の救急救助が

行われておらず、救われるべき多くの

命が失われる現実を目の当たりにし、

何とかしたいという気持ちになりました。

翌2005年には、救命救急士の仕事を

しながら、NPO団体JPRを立ち上げます。

ちなみにJPR設立は阪神淡路大震災が

起こった10年後の2005年1月17日に

合わせてのものでした。

2月にはJPR第一回目の技術支援として

ザンビアへ救急隊員3名、救助隊員3名を

派遣しています。そして、カンボジアには

2008年に正井さんも調査で入っています。

2010年の定年退職後、正井さんは

約8年に渡ってザンビア・スリランカ・

インドネシア・カンボジアを支援。

カンボジアでは初のレスキュー隊も

創り上げました。

正井潔が作り上げたカンボジアの救命救助・レスキュー隊とは

正井潔さんはカンボジア政府からの

要請をうけ、2010年にカンボジアで

初のレスキュー隊である「RRC711」を

組織しました。

立ち上げにあたっては設立に反対する

政府高官がいたりして妨害もあったそうで

帰国を考えたこともあったそうです。

RRC711は火災や災害から身体、

生命、財産を守る消防隊です。

正井さんの指導は厳しいものでしたが

正井さんの考えに同調した隊員が定着し

現在のRPC711となっています。

RRC711の活動はカンボジアのテレビや

インターネットで知れ渡り、現在では

信頼されていますが、それでも違法な

ヤミ救急車が患者を連れ去るという

事態も起きています。

2016年にはカンボジアのシアヌークビルに

「カンボジア・日本友好防災学校」を開校。

正井さんの指導を受けた方が教官となり、

現地で消防・防災、救命についての

人材育成を行えるようになりました。

正井潔の活動資金や収入は?

正井潔さんのカンボジアでの活動は

あくまでもボランティアのようです。

通訳以外の費用は自腹なんだとか。

これだけ大きな事をしているのですから

政府関係から補助金なりなんなり

出ても良さそうに感じますが。

カンボジアでの活動中は年金と奥様の

収入に頼っていたようです。

正井潔の結婚した妻や娘は?

正井さんは結婚して子供さんもいる

ようです。奥様は看護師の仕事をされて

いるようで、娘さんも同じく看護師の

仕事をされています。

災害などの現場で救命救急に携わる夫と

医療現場で人命を助けるために奮闘する

奥さん、娘さんたち。本当に尊い精神を

お持ちの一家のようですね。

娘さんたちも正井さんがカンボジアの

ために働くことを応援しているようです。

ただ、お父さんが腰を痛めており

脊柱管狭窄症という持病を持っているので

心配もしているようですね。

正井潔の今現在や帰国理由は?

正井さんは2018年の3月までは

プノンペンにいましたが、帰国され、

4月からは兵庫県芦屋市で働かれています。

帰国理由については明かされていませんが

現地で消防学校も作られ、人材育成の

体制ができてきたからではないでしょうか。

脊柱管狭窄症という持病もお持ちですし、

日本からも支援は行えるでしょう。

個人的にはレスキューというと

「め組の大吾」を思い出しますね。

こちらは最終的にはインドネシアの

スマトラで活躍したり、世界的に

活躍したレスキュー隊員になりました。

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コメント

  1. 松原 より:

    素晴らしい!!