こんにちは、ぽこぱぱです。
箱根駅伝では毎年のようにドラマや
スターが生まれていますね。
さて、今回はかつて1年生で華の2区を
走り、大ブレーキにより10人以上に
抜かされた「世紀の大ブレーキ」を
経験した櫛部静二さんについて
スポットを当てていきたいと思います。
フラフラになって蛇行しながらも、
次のランナーに繋いだ櫛部さんですが
そのブレーキの理由や現在何をしている
のかなど見ていきたいと思います。
櫛部静二(くしべせいじ)の経歴・プロフィール
- 名前:櫛部 静二(くしべ せいじ)
- 生年月日:1971年11月11日
- 年齢:46歳
- 出身地:山口県宇部市
- 学歴:宇部鴻城高校・早稲田大学、日本体育大学大学院
- 職業:運動生理学者・城西大学経営学部准教授・城西大学男子駅伝部監督
かつて箱根駅伝で1年生ながら華の2区を
任された櫛部静二さん。高校時代には
インターハイで3000メートル障害で
優勝もしています。
1991年に箱根駅伝の走者として抜擢。
トップでタスキを受けるもブレーキで
後半失速し、14位まで転落しました。
翌年はそのブレーキをバネに10000mで
インカレを優勝。その次の年には
箱根駅伝1区で区間新記録を出し、
早稲田大学の優勝に貢献しています。
こちらにも載っています。
大学卒業後はエスビー食品に入社。
1998年には全日本実業団10000mで
優勝するなど活躍をしましたが
指導者になりたいとして退社。
日本体育大学大学院を経て、指導者の道に
進む一方、ランナーとしても走っています。
櫛部静二の箱根駅伝世紀のブレーキの理由・原因は?
華の2区でトップでタスキを受けるも
大ブレーキにより14位まで転落した
櫛部静二さん。蛇行したり歩いたり、
立ち止まって手で顔を覆ったりした場面が
テレビで生中継されていました。
櫛部さんのブレーキの理由は、
体調不良により脱水症状に陥ったためと
言われています。というのも、箱根の
2日前に食中毒になってしまい、
体調が良くなかったんですね。
そのためか前半から靴紐がほどけたまま
走っており、テレビでは早いうちから
指摘されており、心配されていました。
また、櫛部さんは当時、15キロまでは
走ったことがあったものの、2区の
20キロという距離は未体験でした。
実際15キロ位までは良かったんですが
残りで失速しています。
体調不良と経験不足。
それが世紀のブレーキに繋がったんですね。
櫛部さんはこの失敗がトラウマになり、
練習の鬼となっていきました。
櫛部静二の成績・記録や現在の仕事・職業は?
櫛部さんは世紀の大ブレーキの後も
走ることから逃げるどころか、
立派に結果を出されています。
- 1993年第69回箱根駅伝1区区間賞(区間新)
- 1996年シドニーマラソン 第2位(2:16:17)
- 1998年全日本実業団陸上競技選手権 10000m 優勝
- 2002年防府読売マラソン 第3位(2:11:22)
- 2004年北京国際マラソン 第8位(2:17:00)
さらに、2001年には城西大学男子
駅伝部のコーチに就任しており、現在は
城西大学経営学部マネジメント総合学科の
准教授をされており、中長距離走についての
著作も出版されています。
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指導者として活動するだけでなく、
自身も一線級のランナーとして
活躍をしているというのも驚きですね。
2004年の北京国際マラソンでは
前日の箱根駅伝予選会で城西大の
予選通過を見届けてから移動するという
強行スケジュールにもかかわらず、
30kmまでトップを独走するという
離れ業をやってのけています。
櫛部静二の結婚(嫁・子供)は?
現在46歳の櫛部静二さん。ご結婚は
されているのでしょうか。年齢的には
大きなお子さんがいてもおかしくはない
年齢ですよね。
調べてみたところ、結婚などについて
情報は特にありませんでした。
こちらについては分かり次第、
追記をしていきたいと思います。