かつて日本の四大証券会社として
野村證券、大和證券、日興證券とともに
証券市場の一翼を担っていた山一證券。
経営悪化と不正会計により、1997年には
自主廃業を発表、2005年に解散していますが
その破綻の始まりにはある雑誌記者の
執念のスクープがありました。
今回はそんな山一證券の破綻のいきさつや、
破綻のきっかけとなった記事を書かれた
東洋経済新報社の木村秀哉記者について
まとめていきたいと思います。
山一證券破綻の経緯
バブル時には株価がぐんぐん上がっており、
証券会社によって投資ブームが起きていました。
法人関連業務に強みを持っていた山一証券は
「法人の山一」呼ばれる大手証券会社でした。
「投資で儲かる」と企業・投資家に株を勧め、
売買手数料等で莫大な収益を得ていました。
ところが、バブル経済の抑制を目的とした
金融引締政策により証券会社が行っていた
「営業特金」と呼ばれる資産運用方法に
暗雲が立ち込めます。
営業特金では、顧客企業は金を出すだけで、
運用はすべて証券会社が行っていました。
証券会社は運用に伴う手数料を受け取り、
企業は一定の利益を確保できるものでした。
ですがバブル崩壊で株価は一気に下落。
法人に確約していた利益が運用によって
確保できなくなり、証券会社自身が
損失を被っていくこととなりました。
山一證券が行った不正行為とその経緯
1300億円もの損失を抱えた山一証券は
この損失を補填するために
「飛ばし」と呼ばれる方法によって
その場をしのいでいました。
※飛ばしとは
含み損が生じた資産を市場価格よりも
高値で第三者に転売することによって
損失を隠すこと。決算期の異なる企業に
一時的に保有してもらう等を行った
しかし、飛ばしだけでは対応しきれず、
ついに山一證券は不正な会計処理を行う、
「粉飾決算」という違法行為を行いました。
※「粉飾決算」とは
「粉飾決算」とは、不正な会計処理により
故意に決算書の内容を操作することで、
企業の財務状況や経営状態を実際よりも
良く見せること
これらの不正が週刊誌報道等で明るみに出て
山一證券は解体への道を進むことになります。
より詳しい経緯は書籍やドラマでご確認ください
山一證券破綻のきっかけとなった記事を書いたのは週刊東洋経済の木村秀哉記者
そんな不正行為を行っていた山一證券の
破綻のきっかけは週刊誌記事でした。
週刊東洋経済記者だった木村秀哉さんが
タレコミを元に執念の取材を進めていき
飛ばしなどの不正を暴いていきました。
投資顧問会社を経営していた人物からの
タレコミ資料から、山一が法律違反である
「損失補てん」を行っているという疑惑を
感じ取った木村秀哉記者は資料を基にして
不正の闇を追求していったのです。
とはいえ、破綻に追い込もう、といった
目的ではなかったそうですが。
木村秀哉のWiki経歴・プロフィール

出典:http://michikusa9.blog.fc2.com/
- 氏名:木村秀哉(きむら ひでや)
- 生年月日:ー
- 年齢:ー
- 出身地:ー
- 出身校(高校・大学):ー
- 勤務先:東洋経済
経歴
- 『週刊東洋経済』副編集長
- 『山一証券破綻臨時増刊号』編集長
- 『月刊金融ビジネス』編集長
- 『業界地図』編集長
- 『生保・損保特集号』編集長
- 『週刊東洋経済』編集委員
などを経て、現在、企業情報部編集委員
木村秀哉記者は一般の記者の方なので
ほとんど情報が見つかりませんでした。
年齢や出身、学歴や結婚(妻子の有無)等の
パーソナルな情報は分かりませんでした。