
こんにちは、ぽこぱぱです。
デヴィ夫人ていつからテレビで
見るようになりましたかね?
最初は「なんだこのトンチキな人」と
思いましたが、やっぱり今も
たまに変な人だなぁと思います。
そんなデヴィ夫人、かつては東洋の真珠と
言われるほどの美貌を持って世の男性を
虜にして来たそうですよ。
お付き合いした男性の中には
あの「アラン・ドロン」もいたとか。
どんなきっかけだったんでしょうね。
目次
デヴィ夫人の経歴・プロフィール
- 名前:デヴィ・スカルノ(Dewi Sukarno)
- 本名:ラトナ・サリ・デヴィ・スカルノ
- 旧名:根本 七保子(ねもと なおこ)
- 生年月日:1940年2月6日
- 年齢:77歳
- 出身:東京都
- 国籍:インドネシア
- 職業:タレント
デヴィ夫人は日本生まれの
インドネシア国籍のタレントです。
インドネシアのスカルノ元大統領第3夫人です。
デヴィ夫人の生い立ち
父・母・弟のいる貧しい家庭で育ち、
中学卒業後は、三田高等学校定時制部に
進学すると同時に、千代田生命保険入社。
貧しい家計を助けるため
休日もアルバイトをしていました。
高級クラブからスカルノ大統領愛人~結婚
1956年にお父様が亡くなり高校を中退。
赤坂の高級クラブ「コパカバーナ」で
働いていました。
1959年に、インドネシアへの開発援助に伴い
「東日貿易の秘書」という名目で、
スカルノ大統領のもとへ。
3年間の愛人期間を経て、1962年に正式に
スカルノ大統領と結婚しました。
スカルノ大統領失脚~デヴィ夫人は出産後フランスに亡命
1965年の軍事クーデターでスカルノ大統領が失脚。
1967年にスカルノ大統領の8番目の子供、
カリナをちゃんを出産します。
その後デヴィ夫人とともにフランスへと亡命しました。
フランス社交界の「東洋の真珠」
閉鎖的なフランス社交界でもその美貌から
「社交界の華」「東洋の真珠」と呼ばれ
多くの要人、有名人と関係を持ったとされます。
スペイン人のフランシスコ・パエサ氏、
フランス貴族のエルゼアル・ド・サブラン=ポントヴェスなどと
交際と婚約などしましたが破局しました。
アラン・ドロンとも交際
1960年代後半、デヴィ夫人は
人気俳優のアラン・ドロンさんと
知り合い「特別な関係」になったそうです。
パリの高級料理店「マキシム」で、
仲良さそうに食事デー トをする姿もあったとか。
馴れ初めは多分社交界なのでしょうね。
アメリカの俳優ウォーレン・ベイティと
交際していたこともあったとか。
今のお姿からは想像できませんが、
本当に美しかった恋多き女なのですね。
まとめ
貧しく育ったにも関わらず
インドネシアの大統領に見初められ、
シンデレラストーリーを
駆け上がっていったデヴィ夫人。
社交界には知性も必要なので
さぞ努力をしていたのでしょう。
アラン・ドロンさんなどの
多くの著名人と浮き名を流しましたが
結局再婚はしていません。
一人に縛られたくないのでしょうか。
今なお若々しさを保っているのは
そんな奔放な性格によるものかもしれませんね。