こんにちは、ぽこぱぱです。
陸上の右代啓祐選手といえば10種競技の
アスリートで、日本記録を更新したり
アジア大会で金メダルを取るなどの
活躍を見せる選手ですね。
そんなアスリートなので凄く理論建てた
コーチが育てた選手なのかと思いきや
青木誠一さんというふとん職人の方に
走りを育てられたそうで。
元々はズブの素人だった青木さん。
30歳を過ぎて初めて陸上大会に出場し、
オリンピック選手を育てるまでになった
のですが、一体どんな方なのでしょうか。
目次
青木誠一(あおきせいいち)のWiki経歴・プロフィール
- 名前:青木誠一(あおきせいいち)
- 生年月日:1945年or1946年
- 年齢:72歳
- 出身:東京都立川市
- 店舗:青木寝商
10種競技のアスリート右代啓祐さんの
コーチをされていたという青木誠一さん。
20代の半ばから青木寝商で働いてました。
青木さんが陸上を始めたのは30台前半。
綿埃が舞う仕事環境のために喘息を発症。
体力作りのためにジョギングを始めました。
走ることの楽しさに目覚めた青木さん。
初めて陸上大会に出場したのは37歳で、
陸上雑誌などで独学で陸上の勉強をして、
陸上教室を開いていました。
独自の「青木理論」の練習法も考案し、
週に3回、中学生以上にスプリントを
教えていたとのことです。自営業ならでは
といった感じでしょうかね。
青木誠一と右代啓祐の出会い
青木さんと右代啓祐選手の出会いは
平生24年の4月でした。コーチとして
参加していた東京選手権で右代選手の
走りを青木さんは初めて見たそうです。
大きな体なのに走りが小さくてもったいない
と感じた青木さんは、偶然以前教え子だった
ちほさん(現在は右代選手と結婚)が
右代選手と付き合っていることを知ります。
こうした縁もあって、東京選手権の翌週に
青木さんは右代選手に自分の陸上理論を
売り込んだんだとか。しほさんとの関係も
あり、話は弾んだそうです。
右代選手は投擲競技に比べて走る種目を
苦手としていたこともあり、青木さんの
アドバイスに真剣に聞き、ロンドン五輪から
帰国した翌日には、青木さんを訪ねます。
こうして、2人の師弟関係は始まりました。
かつての教え子が気になった選手の彼女
だったなんて、途方もない確率ですが、
出会うべくして出会ったのでしょうね。
青木誠一のトレーニングで右代啓祐のスプリントが向上
青木さんの練習理論は独特です。
一部をココでご紹介しますね。
パラシュートダッシュ
シーツとレジャーシート、傘で作った
パラシュートをつけて走る。
走る時のバランスやフォームが向上する。
ふとん飛び込み
2枚重ねの布団に思い切り飛び込み、
スタートダッシュの姿勢を身につける練習。
ふとん屋ならではのフワフワの布団だから
思い切って飛び込める。
自作の早くなるマシン
チューブに鉄の粉を入れた重りを足に巻き
付けた状態で、ペダル無し自転車と
踏み込みマシーンを使っての強化
練習はかなりきついようで、右代選手も
青木さんの練習が一番きついと言っていた
ようですが、結果は出ています。
右代選手のストライドは大きくなり、
フォームが改善。100メートルが11秒32から
11秒14と向上し、2014年には仁川アジア
大会で金メダルに輝きました。
青木誠一のふとん店「青木寝商」の場所や営業時間は?
そんな青木さんですが今現在もふとん職人
として青木寝商で働いています。
朝からふとんを作り、店番と配達も行って
いるようですね。
そんな右代選手も練習していた青木寝商の
場所などは以下になります。
住所
東京都立川市若葉町1-8-1
電話番号
042-536-6833
FAX
042-536-6837
営業時間
AM9:00~PM6:00(日曜日定休)
青木誠一(アオキ)が激レアさんを連れてきたに出演
そんな青木誠一さんが10月30日放送の
「激レアさんを連れてきた」に出演される
ようで、自身の経験などについて話される
ようですね。
「走ること」を突き詰めていった経緯など
について、色々と掘り下げてお話がされる
ものかと思います。
まとめ
10種競技の日本代表、右代啓祐選手の
走りのコーチ、青木誠一さんについて
色々と調べてみました。
元々はズブの素人だった青木さんですが
喘息をきっかけに走ることを始め、
様々な縁もあってオリンピック選手に
コーチをするまでになったのですね。
10月30日放送の「激レアさんを連れてきた」
ではそんな青木さんの走りへの思いなども
聞けると思いますので注目ですね。
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