高田晴行のカンボジアPKO警官殺人事件の経緯や真相は?オランダ軍は逃げた?襲撃の理由は?

こんにちは、ぽこぱぱです。

国際的な平和への貢献が日本にも

求められるようになって久しいですね。

基本的に軍を持たない日本にとっては

お金での貢献が主だったのですが

最近では自衛隊が出ていくようになって

います。

さて、かつてカンボジアで文民警察官

として殉職した警察官がいたことを

ご存知でしょうか。十分な武装もなく

派遣され、ポル・ポト派と見られる

武装ゲリラに襲撃・殺害されたという

事件について見ていきたいと思います。

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カンボジア日本人文民警察官死傷事件の経緯

1993年5月4日の昼過ぎ、タイ国境に

近いカンボジア北西部のバンテアイミ

アンチェイ州アンピル村に駐在していた

日本人文民警察官が身元不明の武装

集団に襲撃をされました。

襲撃をされたのは国連カンボジア暫定

統治機構(UNITAC)の日本人文民警察官で、

オランダ海兵隊部隊の護衛を受けながら、

文民警察専用車など車両6台の編成で

パトロール巡回の最中でした。

10人程度とみられる武装ゲリラは対戦車

ロケット弾や自動小銃で武装しており、

車列に襲いかかりました。オランダ軍も

応戦しましたが、この襲撃で日本人1人が

死亡、4人が負傷しました。

この武装ゲリラが襲撃後にポル・ポト派の

村に向かっていくのが確認されていますが

武装集団がポル・ポト派という確証はなく

UNITACや日本政府も犯行グループの断定は

出来ないとしています。

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亡くなったのは高田晴行(たかだはるゆき)岡山県警警部補

この襲撃により亡くなったのは、

岡山県警警部補の高田晴行さんです。

階級は当時は警部補で殉職による

二階級特進で警視となっています。

高田晴行の経歴・プロフィール

出典:http://documentary.wp.xdomain.jp

  • 名前:高田晴行(たかだ はるゆき)
  • 出身:岡山県倉敷市
  • 没年:1993年
  • 没年齢:33歳

高田さんは1982年に専修大学卒業後、

岡山県警察警察官に任官され、岡山東

警察署や井原警察署等で勤務します。

1992年10月、当時機動隊に所属していた

高田さんは国際連合カンボジア暫定統治機構

(UNTAC)の文民警察官に応募します。

国際平和協力隊員に採用され、10月に

カンボジア入りをしました。

1993年5月、カンボジアでポル・ポト派と

みられる身元不明の武装ゲリラの攻撃を

受け殺害されました。高田警部補は、

妻(当時31歳)と長男(当時3歳)、

次男(当時1歳)の4人家族でした。

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高田警部補殺害後の経緯

武装集団の攻撃で即死した高田警部補の

遺体は、ヘリコプターでオランダ軍駐屯地

まで運ばれた後に、UNTACの輸送機で

バッタンバンに到着。

その後バンコクに移送されました。

高田警部補の遺族(妻、父、母)は、

5日深夜にバンコク入りし、病院に安置

された遺体と無言の再会となりました。

カンボジアで国連平和維持活動(PKO)に

従事していた文民警察官が殺傷される

という事態に、日本政府の見解は

「現時点でパリ和平協定の枠組みは

崩れておらず日本のPKO派遣の前提

である停戦合意など「五原則」は維持

されている」というもので、PKO要員を

撤収する考えはないと述べました。

その後も日本政府は国連の要請を受け、

停戦監視、文民警察、選挙、道路・橋

などの修理などの後方支援の各分野の

協力を行う事を決定し、PKO要員を

撤退することなく任務を満了しました。

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オランダ軍は文民警官を守らずに逃げた?

高田警部補殺害事件に関しては

様々な検証、説がありますが、

その中に護衛すべきオランダ軍が

逃走したというものがあります。

平沢勝栄さんが言うには「オランダ軍に

お願いしますとお願いしたら、真っ先に

守ってくださるべきオランダ軍に

逃げられてしまった」とのこと。

この時の警備はオランダ軍の武装兵士が

先頭車両に1台のみで、急襲を受けて

オランダ軍兵士も負傷しています。

また、襲撃自体も先頭車両に対戦車

ロケット砲が打ち込まれるところから

始まっています。

襲撃を受けてオランダ軍は撤退できたが

高田警部補達の乗った車は側溝に落ちて

逃げ出せなかった、という取材記録も

あるとのことです。

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そもそも文民警察とは?

国連が、治安情勢の悪化が予想される

国や地域に、選挙などに際して警察活動を

目的として派遣する要員のことです。

カンボジアでは警察官を監督し、警察

行政が民主的に行われるよう助言・指導

をおこないまいした。非軍事部門の

「選挙監視」と並んで日本の参加が期待

された分野で、警察庁、都道府県警の

警察官75人を派遣していました。

PKO5原則とは?

PKO派遣の前提となる5つの原則です。

  1. 紛争当事者間の停戦合意の成立
  2. 紛争当事者の受け入れ同意
  3. 中立性の厳守
  4. 上記の原則が満たされない場合の撤収
  5. 武器の使用は必要最小限

高田警部補の死後もこの原則は

崩れていないというのが日本政府の

見解でした。

実際には停戦合意や戦闘停止は

建前でしかなく、文民警察官たちが

「標的」となる「戦場」だったといえます。

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まとめ

かつてカンボジアで文民警察官として

殉職した警察官の高田晴行さんと、

その襲撃事件について見てきました。

危険地帯に武装もせずに放り込まれる

という状態が以下に危険かは私でも

分かるのですが、偉い人たちには

分かってもわからないんでしょうね。

武装ゲリラたちは、カンボジアは

PKO部隊が入ってくることは認めたが

空けたのは入り口だけでその先の

部屋や台所に入っていいわけではない、

と襲撃を行ったとのことです・

このようなことが二度と起きないように、

そもそもPKOという行動そのものが

必要のない世界になって欲しいものです。

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