篠沢秀夫(篠沢教授)の死因はALS?妻や子供、葬儀・告別式の日程は?

こんにちは、ぽこぱぱです。

訃報が入ってきました。

TBSのクイズ番組「クイズダービー」などで

活躍した学習院大名誉教授の篠沢秀夫さんが

26日未明に死去されたとのことです。

2009年にALS(筋萎縮性側索硬化症)と

診断され、同年4月には気管切開をして

闘病生活を送っていましたが、10月26日に

東京都文京区の病院でなくなりました。

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篠沢秀夫(しのざわひでお)の経歴・プロフィール

  • 名前:篠沢秀夫(しのざわひでお)
  • 生年月日:1933年6月6日
  • 没年月日:2017年10月26日
  • 出身:東京都大田区
  • 学歴:東京都立日比谷高校、学習院大学、東京大学大学院
  • 血液型:AB型
  • 職業:大学教授

学習院大学名誉教授だった篠沢秀夫さん。

テレビのクイズ番組「クイズダービー」では

珍答迷答ぶりで名物回答者として人気となり

「篠沢教授」として親しまれました。

学習院大学フランス文学科卒業後、東京大学

大学院人文科学研究科仏語仏文学専門課程に

進学し、19世紀以降のフランス文学の文体を

研究されており、パリ留学などを経て明治大や

学習院大で教授を務めました。

反共主義的文化人の一人で、かつてテレビで

日本社会党を批判していたこともありました。

2004年からは日本文化チャンネル桜の番組

「桜塾講座-篠沢講座」で講師として出演し

「仏文化と日本文化」について解説しました。

著書には「文体学の基礎」「日本国家論」、

訳書にモーリス・ブランショ著「謎のトマ」

などがあります。

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篠沢教授の死因はALS(筋萎縮性側索硬化症)?

篠沢教授は2009年2月に筋萎縮性側索硬化症

(ALS)と診断され、2010年に週刊朝日で

告白をしています。2009年4月からは

気管切開を行い呼吸器を付けていました。

ALSは筋肉の萎縮と筋力低下をきたす

神経変性疾患で、運動ニューロン病の一種。

極めて進行が速く、発症後3年から5年で

呼吸筋麻痺により死亡するケースが半数です。

1年間に人口10万人当たり1〜2人程度が

発症する病気で、発症患者が多い年代は

40代から60代。男性の方が女性の発症割合に

対して2倍ほどの発症率となっています。

そんな闘病中でも篠沢教授は執筆活動に

精力的で、講演活動も2011年6月から再開して

精力的に行っていました。

このときの音声は日本文化チャンネル桜

「桜塾講座-篠沢講座」 から抽出した

音声から作ったもので、音声合成装置、

ソフトウェアPOLLUXSTARを用いています。

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篠沢秀夫教授の嫁(篠沢礼子)や子供は?

篠沢教授は1963年に結婚をされています。

奥様のお名前は礼子さんで、学習院大学で

フランス語講師を務める篠沢さんの補佐役に

ついたのがお二人の出会いでした。

結婚後は3人の子供に恵まれました。

2008年頃から篠沢教授ははろれつが

回らなくなってきており話し方がおかしく

なってきていました。入れ歯の問題かと

検査もしてみましたが分からず。

大学病院の神経内科でALSと判明しました。

最初は受け入れられず、食欲が落ちて不眠に

なり、うつ状態になったそうです。

そんな落ち込む礼子さんを励ましたのは

娘さんでした。初孫が生まれたばかりだった

篠沢教授。「子供におじちゃんの記憶が

残るまで生きて欲しい」と言われて

覚悟を決めたんだとか。

病気でも篠沢教授は執筆活動を続けたがり、

礼子さんはそれを笑顔と頑張りで支え、

最後まで共に歩みました。

篠沢秀夫の著作は?

篠沢教授は数々の著作を残されています。

フランスに関わるもの。女性に関するもの、

愛国心・国家論に関するものなど幅広く

書かれています。

ALSとの闘病を書かれた本「命尽くるとも」は

声を失ってもなお自分の「仕事」や「生き様」を

残そうという意志のこもった本ですね。

フランス文学について研究、留学を経験し、

「国際化」というものを心底考えた時に、

自国を知ることの大切さを感じたのでしょう。

国家論、愛国心についての著作です。

日本へのわが遺言 戦前・戦中・戦後―日本はひとつ

by カエレバ

篠沢教授の葬儀・告別式の日程は?

篠沢教授の葬儀・告別式の日程は未定で、

喪主は妻の礼子さんが務められます。

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