諸井清二(漂流おじさん)の現在や妻は?漂流日誌や原因は?夢・テレパシーで発見?カロリーメイト最強!

こんにちは、ぽこぱぱです。

海開きが沖縄で行われましたね。

晴れれば気温は暖かいけど、

水温は2ヶ月遅れなので、

まだまだ冷たいんですよね。。。

そんな海でたった一人遭難という

恐怖を92日間も味わった

諸井清二(もろいせいじ)さんに

今回は注目したいと思います。

なぜ漂流事故は起きたのか、

どのように助かったのか、

現在は何をされているかを

追いかけてみたいと思います。

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諸井清二(もろいせいじ)とは?

諸井清二(もろいせいじ)さんは大阪府に住む

現在78歳の男性です。

21歳の時に現在の商船三井、

当時は関西汽船に就職しました。

一等航海士の資格も持ち、

ジャンボフェリーの船長も務められたとか。

23歳からヨットを趣味としており、

いつかヨットで世界一周を夢見ていました。

環太平洋ヨットレースに参加

諸井清二さんは56歳のときに、

関西国際空港開港記念の

環太平洋ヨットレースに出場します。

それはロサンゼルスをはじめ、世界5都市から

大阪へヨットで太平洋を横断するものでした。

妻の諸井知恵子がパートナー。船名は「酒呑童子号」

パートナーには妻の知恵子さんを選び、

会社は退職し退職金の一部を使って

ヨットを購入して参加したそうです。

奥さんよく了承したな、という感じですね。

私が妻なら却下です。

船の名前は「酒呑童子号」。

酒呑童子(しゅてんどうじ)とは

源頼光に毒酒を飲まされて泥酔させられて

寝込みを襲われて成敗された鬼ですね。

名前の響きはカッコイイんですが

意外と縁起悪いですね。

先に清二さんが単独でロサンゼルスに

ヨットで向かい、千恵子さんと現場合流、

その後にレースに参加しながら

関西へ戻る予定だったそうです。

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海が時化(しけ)てヨットが転覆!

清二さんが出港して1ヶ月ほどの

3月8日、悲劇は起こりました。

海は大時化、荒れてしまい波が立ち、

水面は泡立って真っ白だったそうです。

あえなくヨットは転覆。

ヨットは転覆しても浮力で復元しますが

この時はマストが折れてしまいました。

これでは帆を張って操船が出来ません。

しかも、転覆の直前に清二さんは

ヨットと自分を繋ぐハーネスベルトが

外れてしまったため海に落水しています。

奇跡的に船に戻れましたが、

この時は死を覚悟したことでしょう。

92日間の漂流遭難生活を遭難日記に記す

操船ができなくなってしまい、

清二さんは本格的に遭難となりました。

その時の日誌がこちらになります。

3月8日 航行不能となる。

3月13日 東から西へ船が一隻。煙突が黄色い貨物船。合図をしたが反応なし。

4月27日「何もかも残り少なく不安かな」「助けてと合図をすれどノーアンサー」

4月30日「助け船まだ来ぬ先から乗る準備」「いま天気どこまで続くわが命」

5月2日 雨。「叫べどもこたえてくれないアホウドリ」貨物船、また行ってしまった。10隻目。

5月3日 霧。食料は6月中は何とかなりそう。霧晴れるが、曇り空。「漂流も2ヵ月たつと歌も出ず」

5月15日 69日目。晴れ。どこまでも希望を捨てずに。最後にチャンスが来るかもしれない。

6月2日 87日目。雨。八方ふさがり。どうすればよいか分からない。もうこれ以上進めない。人間は過去を振り返ることはできても、過去に戻ることはできない。さすがに20日間、一隻の船もいないと、あせりが出てくる。天候もいっこうに回復しそうにないし。このまま助からないように思えてくる。

6月4日  行方不明のまま、帰れないかもしれないと思いだした。頑張れ清二。

6月7日  92日目。晴れ。
青い空。白い雲。光り輝く水平線の中から、一隻の船が。
迷い子になったわが子を見つけた母親のように
汽笛を鳴らしながら、一直線にこちらへやってきた。
そして、静かに私の横に止まった。

大海原にたった一人。

見渡す限り海しか無く、

たまに見かける船や飛行機も

自分のことを見つけてくれない。

そんな中でよく精神を保ったものだと

思います。

短歌風に日誌を残しているので

意外と平気だったのかな?

と思うかもしれませんが

きっと精神の安定のためだったのでしょう。

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漂流・遭難の原因は気象ファックスの故障

遭難してしまった清二さんですが、

最大の起因は気象ファックスの故障でした。

天気図が手に入らなくなってしまい、

猛烈な低気圧に突っ込んだ結果転覆。

その時に各種通信機器も壊れてしまいました。

天気図が取れていれば回避する方法は

あったのでしょうね。

食料や飲料水は千恵子さんとカロリーメイトのおかげ

ちなみに遭難時に食料は結構残っていました。

千恵子さんが色々と船内に食料を

入れておいてくれたおかげです。

その中でもカロリーメイトは最強で、

大塚製薬に清二さんは賛辞を送っています。

さすがカロリーメイト。口乾くけど。

ちなみに水はペットボトルを使って

真水を作り飲んでいたそうです。

海水を飲むと遭難時は致命的ですので

懸命な判断でしたね。

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千恵子さんが見た予知夢。テレパシー?愛の奇跡?

諸井清二さんには妻と5人の子供がいました。

遭難と聞いてどれほど心配したことでしょうか。

清二さんも妻子を思い「生きて帰る」と

強い思いを持ったといいます。

そんな清二さんの発見を待っていたある日、

千恵子さんは不思議な夢を見ました。

夢の中で清二さんが家に帰ってきており

「いつ帰ったの?」と聞くと

「6月7日に帰ってきた」と答えたそうです。

実際に清二さんが発見されたのも6月7日。

実際清二さんは懸命に「必ず帰る」と

念を送っていた頃のことだといいます。

奇跡的ではないですか。

諸井清二・千恵子さんの現在は?

清二さんは帰国後に

「九十二日目の天国-酒呑童子号の太平洋漂流日誌」

という本を出されています。

また、大時化の中で外れてしまったハーネスを巡って

船の製造会社・販売会社に訴訟を起こしました。

結果としては800万円での和解が成立しています。

その後、清二さんは千恵子さんの故郷の沖縄で

コーヒー農園を始めました。

コーヒーづくりは独学だったそうです。

なんともチャレンジ精神に富んだ方ですね。

一度死にかけているので覚悟の座り方が

並ではないのでしょう。

1200坪の敷地を持つコーヒー農園は

沖縄の名護市の隣、東村にあります。

個人向けの販売はしていないようなので

お取り寄せ・通販等は厳しいでしょう。

清二さんが現在もコーヒー栽培を

やられているかは不明ですが、

やっていそうですね。

まとめ

92日間の遭難・漂流生活という

壮絶な体験をした諸井清二さんについて

まとめてみましたがいかがでしたか。

家族への強い想いで生き残った清二さん。

その想いを感じ取り発見を文字通り

「夢に見た」妻の知恵子さん。

お二人の絆が本当に素晴らしいですね。

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