鹿取義隆(巨人新GM)の経歴(Wiki・成績)は?ゼネラルマネージャーの役割、今後のチーム方針は?

こんにちは、ぽこぱぱです。

今年、特に交流戦に入ってからの

巨人の低迷ぶりは目も当てられない

ものでしたがメスが入ったようです。

ゼネラルマネージャーが堤さんから

鹿取義隆さんに変わるようです。

一体どんな方なのでしょうか。

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GM交代発表

巨人は13日、東京・大手町の読売新聞

東京本社で株主総会と取締役会を行い、

GMの交代が決まりました。

堤辰佳GMは42年ぶりに球団ワースト記録を

塗り替える13連敗を喫するなど不振の

責任を取る形で就任辞退届を提出。

巨人はこれを受領しました。

そして巨人と西武で救援投手として活躍し、

巨人のヘッドコーチも務めた鹿取義隆GM

特別補佐が新GMに就任しました。

石井新球団社長は、鹿取新GMと球団事務所

で会見を行い、

  • 強いチーム作り
  • 愛されるチーム作り
  • 胸を張れるチーム作り

の3本柱を掲げました。また、鹿取新GMは

育成部門の立て直しに意欲を見せました。

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鹿取義隆(かとりよしたか)の経歴・プロフィール

https://www.nikkansports.com

  • 名前:鹿取義隆(かとりよしたか)
  • 生年月日:1957年3月10日
  • 年齢:60歳
  • 出身:高知
  • 学歴:高知商業高校・明治大学
  • 入団:1978年(巨人)
  • 引退:1997年

高校時代は2年の夏に控え投手として

甲子園に出場。ベスト8まで進出した。

高校卒業後は明治大学に進学。1年から

打撃投手を勤め、2年の春にベンチ入り

している。1977年には日米大学野球の

日本代表に選出されている。

大学卒業後は社会人野球に進む予定だったが

ドラフト会議後に巨人から打診があり、

ドラフト外で入団。破格の契約条件で

入団したと言われている。

右サイドスローからの140km/h台の

キレの良いストレートと多彩な変化球で

持ち味で中継ぎとして活躍した。

1990年にトレードで西武ライオンズに

入団した。

西武でも中継ぎ、押さえとして活躍した。

1997年に怪我の悪化もあり引退。

引退後は巨人1軍投手コーチ、

ヘッドコーチなどを歴任。日本代表でも

投手コーチをつとめた。

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鹿取義隆のプレースタイル

右サイドスロー。140キロ台の

ストレートと多彩な変化球が持ち味で、

キレの良いスライダーとシンカーに加え、

後年チェンジアップも持ち球に加わった。

ブルペンで3球投げれば肩を作れるという

タフさで知られる。自身は、必ずしも肩の

仕上がりは早くなかったが、チャンスを

つかんだり信頼に応えるために努力した、

と述べている。

登板間隔が開くと不安になって調整登板を

志願することもあった。年間40試合程度の

間隔が理想だったという。キャンプでは

150球近く投げる日もあれば、ノースローの

日を作るなど肩を消耗品とみていた。

リリーフ各自が自分の出番を把握し、起用と

一致している場合は集中力が高めやすいと

感じており、その経験はコーチ時代に活かされ、

ブルペンの状態に気を配っていた。

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鹿取義隆の成績は?

通算成績

  • 登板:755試合
  • 勝数:91勝
  • 負数:46敗
  • セーブ数:131セーブ
  • 防御率:2.76
  • 勝率:.664
  • 投球回:1306.1

タイトル

  • 最優秀救援投手:1回 (1990年)

ゼネラルマネージャーとは?

GMは、チームの編成や方針の決定、

選手や代理人との契約交渉、トレードや

ドラフトなどの新人獲得の人選などを、

球団オーナーから用意された予算の

範囲内でこなしていく役割を持つ。

日本のプロ野球では球団代表の英訳に

「General manager」を充てるケースが

あったが、親会社の社員が出向の形で

球団代表に就任する例が多く、専門的に

プロスポーツの管理に通じた者は少なく、

権限がきわめて狭かった。

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