フロイドシュモーの経歴やシュモーハウスの場所は?ヒロシマ被爆者のために家を建てた平和活動家

こんにちは、ぽこぱぱです。

そろそろ終戦記念日も近づく今日この頃。

子供の頃は原爆の日や終戦記念日は

テレビがつまんないなー、程度にしか

思っていなかったのを覚えています。

多くの人命を奪った原子爆弾。

アメリカ人は原爆投下について、妥当だった、

という認識なんだそうですね。

日本人として受け入れるのは難しい

認識かな、と思います。

ただ、そんな原爆投下のニュースを知り、

被災者のためにアメリカで募金活動をし

原爆被害者のために家を作った人も

いるんだとか。今回はそんなアメリカ人の

フロイドシュモー氏に注目したいと思います。

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フロイド・シュモーの経歴・プロフィール

  • 名前:フロイド・シュモー(Floyd Wilfred Schmoe)
  • 生年月日:1895年9月21日
  • 没年:2001年4月20日
  • 出身:アメリカ、カンザス州
  • 職業:森林学者、自然学者、著作家

出生~第一次大戦兵役拒否

フロイド・シュモー氏はアメリカの森林学者、

自然学者で著作家であり、クエーカー教徒の

平和主義者です。平和活動者として知られ、

第二次世界大戦中は、強制収容された

日系アメリカ人への支援、戦後は広島復興の

支援などをした方です。

シュモー氏は1895年に5人兄弟の2番目として

生まれました。シュモー家はカンザス州で

小さな農場を営んでいました。

シュモー氏は農場や周りの自然の中での

経験から自然を愛するようになり、森林学者、

自然学者の道を歩むようになります。

第一次世界大戦が始まる兵役を拒否し、

赤十字に参加しフランスで救急車の運転手や

担架担ぎとして活動しました。

戦争の最中にはポーランドの難民へ物資の

配送を行ったこともあったそうです。

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自然保護官と大学講師

第一次世界大戦終戦後はシュモー氏は

カンザスに戻り、高校の同級生で

ピアニストのルスさんと結婚しました。

その後シアトルへ移り、シュモー氏は

ワシントン大学で森林学と海洋学を学び、

妻のルスさんは音楽を続けました。

金銭的に厳しくなった2人は、

マウントレーニア国立公園で働き、

シュモー氏は山岳ガイドとしても

活動していたそうです。

その後、ニューヨークの森林学専門の大学へ

移籍し1922年に学位を取得します。

卒業後は再び国立公園に戻り、自然保護官

として働き、その後自然学者として

大学講師になりました。

また、シュモー氏が1925年に書いた

『Our Greatest Mountain』という本は

マウントレーニア国立公園公園の非公式の

ハンドブックとなりました。

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平和活動への傾倒

第二次世界大戦が始まると、シュモー氏は

ユダヤ人の避難援助や物資の援助を

行いました。アメリカの参戦が決まり、

日系人の強制収容が始まると、その援助を

行うために大学講師を辞めてしまいます。

ちなみにシュモー氏の娘Estherさんは、

第二次世界大戦が終わる前日系アメリカ人の

Gordon K Hirabayashi氏と結婚しています。

FBIに「狂犬的平和主義者(rabid pacifist)」

と揶揄されるほどで、シュモー氏は

戦争中には西海岸の強制収容所を訪れ、

終戦後はシアトルへ復帰してくる日系人の

援助を行いました。

原爆投下のニュースには、あまりの惨状に

怒りと悲しみを込めて、大統領に抗議電報を

打ったそうです。その後、被災者のための

家屋建設支援を決断し、1口1ドルの

寄付を募りアメリカ各地を回り始めました。

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ヒロシマ被爆者のための家の建設

シュモー氏は1948年に来日し、その惨状を

目の当たりにします。翌年には仲間や、

日本人ボランティアと共に家造りを始め、

2ヶ月後に4戸を作り上げました。

入居希望者が殺到したというこの家は

「皆実町平和住宅」と命名され、

その後2回、他の米国人ボランティアと

広島を訪れ、1952年までに計20戸を

自ら建築に携わり作り上げます。

2012年11月には現存する最後の1戸が

広島平和記念資料館の付属展示施設、

「シュモーハウス」として保存されました。

その後も朝鮮戦争の被災者への援助、

アフリカの難民への援助、中東への

援助など平和活動を続けました。

彼の平和活動から殺害の脅迫も受けたり

FBIにも目をつけられたりと、

大変な思いもしたようですが、それでも、

執筆活動や平和運動への支持を続けました。

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シュモーハウスの今は?場所は?

シュモー氏が作った建物はシュモー会館と

呼ばれていました。それを移転・改修し

被爆後の広島に寄せられた海外からの支援を

紹介する施設として広島平和記念資料館で

展示されています。

館内では、シュモー氏の活動のほか、

被爆直後の広島に大量の医薬品を届けた

マルセル・ジュノー博士(スイス)や、

肉親を失った子どもたちへの援助運動を

手掛けたノーマン・カズンズ氏など、

被爆後の広島に寄せられた海外からの

さまざまな支援を紹介しています。

展示解説院による建物や展示内容に

ついてのガイドも行われますが、こちらは

希望日時の2週間前までに平和記念資料館

学芸課(082-241-4004)まで申込みが必要です。

住所

〒730-0834 広島市中区江波二本松一丁目2番43号

営業時間

9:00〜17:00

定休日

毎週月曜日(8月6日に当たるときは開館。また祝日の場合も開館)

祝日の翌平日、年末年始(12月29日〜1月3日)

料金

無料

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まとめ

平和活動家で終戦後に原爆に被災者のために、

アメリカで募金活動をし家を作ったアメリカ人の

フロイドシュモー氏ついて色々と調べて

みました。

自然を愛し、平和を愛したシュモー氏。

被爆者のための家を建築してから

30年以上たった1982年にはシュモー氏は

春の叙勲受賞者に選ばれ、広島市の

特別名誉市民の称号も贈られています。

ちなみにシュモー氏については8月3日放送の

アンビリーバボーで取り上げられるようで、

こちらも注目ですね。

ちなみに同じ日に放送される

羽田空港爆破事件の犯人、青野淳記事はこちら

羽田空港爆破事件の犯人・青野淳(赤木)の動機は?草加次郎の模倣犯?
こんにちは、ぽこぱぱです。 空港をよく利用する身として困るのが テロです。巻き込まれたら困るとかいう レベルではないのです...
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