土居よしたね(善胤)の桧原桜(ひばるさくら)公園の画像(写真)場所、アクセスは?【Wiki】

こんにちは、ぽこぱぱです。

今年は花見シーズンには土日が雨で

花見にいけませんでした。

涼しい地域に行って花見をしたい

ところではありますが、なかなか

そのためだけに遠出は予算が

許してくれません(笑)

さて、今回ご紹介するのは福岡県に

ある桧原桜公園の桧原桜についての

エピソードです。

区画整理のために切られそうになった桜が

今なお見る人を楽しませている裏には、

心温まるエピソードがあったようです。

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切られるはずの桧原桜に嘆願の短歌の色紙

今から33年前の1984年。

当時福岡市は政令都市に指定され、

都市部と郊外を結ぶ道路の整備が

進められていました。

福岡県南区には、桧原桜と呼ばれて

昔から愛されてきた9本の樹齢50年の

桜の木がありました。その桜の木は

整備のために切られることになります。

9本のうちの1本が切られた後のある日、

1本の桜に短歌が括り付けられていました。

花守り 進藤市長殿

花あわれ せめてはあと二旬 

ついの開花を ゆるし給え

(つぼみをつけた桜が伐られるのは

可哀想だ。せめてあと2週間、

最後の開花を許してほしい)

その短歌をたまたま見た九州電力社長の

川合辰雄氏は広報担当の大島淳司氏を

通じて西日本新聞の松永記者に連絡。

そして昭和59年3月23日、夕刊の社会面の

トップ見出しに桧原桜の記事が乗りました。

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桧原桜を惜しむ市民の短歌が市長を動かす

その新聞を見た福岡市民は心を動かされ、

伐採を惜しむ和歌が桧原桜にどんどんと

貼り付けられました。

市民の活動の広がりに行政も動きます。

福岡市長の進藤一馬氏は桧原桜の伐採を

花が散るまでは延期するように要請しました。

その時に進藤市長が読んだ返歌が粋です。

花惜しむ 大和心のうるわしや

とわに匂わん 花の心は

香瑞麻

その後桧原桜の伐採は延期から中止に変更。

近くの池を埋めてそちらに道路をつくり、

桧原桜は移植して残されることとなりました。

こうして1つの木に付けられた和歌によって

市民が動き、桧原桜は守られました。

では最初に短歌を付けた人物についても

ご紹介します。土居善胤さんという

近所に住む男性でした。

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土居善胤(どい よしたね)の経歴・プロフィール

  • 名前:土居善胤(どいよしたね)
  • 生年月日:1928年
  • 年齢:89歳(?)
  • 出身:愛媛県

土井さんは当時福岡相互銀行

(現在の福岡シティ銀行)で

広報担当・広報室顧問をされており、

「博多に強くなろう」シリーズを

長年編集されていました。

9本のうちの1本の桧原桜が切られ、

桜のSOSを受け止めて短歌にしたため、

桜の木に括り付けました。

そしてその思いは福岡市民だけでなく、

行政や公共工事までも動かしました。

この短歌に始まった桧原桜のお話は

福岡県版の教科書「みんなのどうとく6年生」

にも掲載され、地域文化の振興に功績があった

団体・個人を顕彰する博多町人文化連盟の

「第42回博多町人文化勲章」も受賞されています。

現在は「花守り会」の世話役として、

この桧原桜のエピソードを小学校などで

講演されているそうですよ。

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桧原桜公園の場所は?アクセスは?

  • 所在地

〒811-1355

福岡県福岡市南区桧原1丁目5

  • お問合せ

南区 維持管理課公園係

Tel:092-559-5093

  • アクセス方法

西鉄大牟田線(天神)から西鉄大橋駅へ

西鉄大橋駅より西鉄バス(700番)で

約40分の桧原桜前。

まとめ

一人の男性の思いが福岡市民に広がり

行政をも動かし、桧原桜が守られた

エピソードについてまとめてみました。

土居さんはこのような結果になることを

期待してあの短歌を書いたのではなく、

ただ「もう少しだけ待って欲しい」と

思って詠んだのでしょう。

「意気に感じ」、進藤市長が取った行動は

とても日本的でしたね。

合理化だけで進めるのではなく、和の粋を

感じるエピソードでとても感動しました。

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