天城山心中事件の愛新覚羅慧生と大久保武道の経歴や画像は?【ラストエンペラーの姪】

こんにちは、ぽこぱぱです。

天城山心中事件と言うものをご存知ですか?

ラストエンペラーの姪が関わった事件、

というものなんですが、なんか凄そうですね。

12月1日放送の「爆報フライデー」で

こちらの事件について取り上げるようなので、

事件そのものについて、中心物とされる

愛新覚羅慧生についてナドナド、色々と

調べてみたいと思います。

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天城山心中事件とは?経緯や内容は?

1957年12月4日の午後6時過ぎに

静岡県伊豆市の天城山にタクシーから

降りた若いカップル2人が懐中電灯を

持って入っていきました。

運転手は2人に「帰りをまとうか」と

聞きましたが2人は断ります。そんな状況に

運転手は「心中するのでは?」と心配に

なり、警察に連絡をします。

12月5日にはカップルの関係者に手紙が届き

失踪が発覚します。6日には周囲が伊豆方面に

捜索に出て、7日には新聞報道が出ます。

そして10日の午前9時半頃、城山頂トンネル

入り口から八丁池へ登るコースを登った

雑木林の中で、地元消防団員が2人の遺体を

発見しました。

凶器は銃で、男性の右手に握られており、

女性の遺体は左こめかみに銃弾の穴があり、

2人は心中していました。

この心中した男女。男性は学習院大学の

学生の大久保武道で、女性の方はラスト

エンペラーの姪である愛新覚羅慧生

(あいしんかくらえいせい)ということで

当時は「天国で結ぶ恋」と報じられました。

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愛新覚羅慧生(あいしんかくらえいせい)の経歴・プロフィール

  • 名前:愛新覚羅慧生(あいしんかくら えいせい)
  • 生年月日:1938年2月26日
  • 死去:1957年12月4日ごろ
  • 出身地:満州国新京市

「ラストエンペラーの姪」愛新覚羅慧生。

清および満州国皇帝・愛新覚羅溥儀の

実弟・溥傑の長女です。父の溥傑は日本で

嵯峨浩と結婚しました。

慧生は2人の長女として満州国の首都新京

(現:長春市)で生まれます。1943年から

学習院幼稚園に通うために日本で生活し、

19歳でなくなるまで日本で暮らしました。

学習院女子中等科、学習院女子高等科、

学習院大学文学部国文科と進み、そこで

天城山心中事件での心中相手となる

大久保武道と出会いました。

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大久保武道(おおくぼたけみち)のWiki経歴・プロフィール

  • 名前:大久保武道
  • 出身:青森県八戸

青森県八戸出身の大久保武道。父親は

南武鉄道役員で、八戸の漁具問屋の経営も

行う裕福な家庭で育ち、大学入学を機に

上京しました。

質実剛健、感情と行動に距離がなく、

愚直な性格で、都会的で洗練された

学習院の学生の中では異質な存在でした。

ちなみに格好は丸坊主で学生帽を被る、

という洗練とはかけ離れた存在でした。

大久保は自分の父親が浮気性で、外に

子供を作って母親を泣かせており、

その血が自分に流れていることに

悩みと憎しみを持っていました。

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大久保武道と愛新覚羅慧生の出会いや馴れ初めは?事件前日まで

当時学校の華だった慧生に大久保は

想いを寄せます。また、慧生も周りには

いないタイプの無骨で愚直な大久保に

惹かれていきました。

6月下旬、大久保は初めて慧生と2人で

会話をして身の上を聞き、自宅まで送ります。

この時、大久保の風体に対して慧生の家族は

馬鹿にして笑い、慧生は家族が交際を

許すことはないと悟りました。

2人はその後交際に発展。身分の違いもあり

家族には打ち明けることが出来ませんでした。

慧生は家族には大久保からの手紙も一方的な

ものだと家族に説明していました。

1957年2月、2人は長く語り合った後、

「婚約」を決めました。その後、冷静さを

取り戻した慧生は友人達の猛反対にもあい

何度か「婚約解消」を持ち出しますが、

その度に大久保が自暴自棄になって解消が

立ち消えになるという事を繰り返します。

12月2日、慧生は周囲にSOSのサインを

送っています。大学で授業の前、親友の

「オサト」に、拳銃を見せ、大久保君の

もので、この銃で自殺すると言っている。

説得して預かっている、と話していました。

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慧生の最後の手紙

慧生は最後の手紙を4日の午前8時頃に

学生寮の穂積宛に記したと見られています。

慧生は以下のような文面を残しています。

なにも残さないつもりでしたが、先生(穂積)には気がすまないので筆をとりました。大久保さんからいろいろ彼自身の悩みと生きている価値がないということをたびたび聞き、私はそれを思い止まるよう何回も話しました。二日の日も長い間大久保さんの話を聞いて私が今まで考えていたことが不純で大久保さんの考えの方が正しいという結論に達しました。

それでも私は何とかして大久保さんの気持を変えようと思い先生にお電話しましたが、おカゼで寝ていらっしゃるとのことでお話できませんでした。私が大久保さんと一緒に行動をとるのは彼に強要されたからではありません。また私と大久保さんのお付き合いの破綻やイザコザでこうなったのではありませんが、一般の人にはおそらく理解していただけないと思います。両親、諸先生、お友達の方々を思うと何とも耐えられない気持です

天城山心中事件はストーカー殺人事件?

慧生の母親は自伝で慧生が心中を考えている

様子は全く無かったと記しています。

もともと慧生の家族は武道がつきまといを

しており、その上での無理心中を行ったと

いうのが主張です。

ただ、上の手紙にもありますが、慧生は

大久保の自殺願望を止められず、それに

一緒に行こうという旨のことを書いて

いますので、その線はどうなのかな、と

思わされますね。

天城山に行くタクシー内で慧生は大久保に

「帰りましょう、ねえ帰りましょう」

「今ならまだ間に合うから、帰りましょう」

と言っていたようです。

心中を望んでいたわけではなく、むしろ

止めたいと考えていたのでしょうが、

結局は心中となったんですね。

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